📘第17話 ◆特別編◆「近所のマンションが2億で売れたんやから、うちは3億やろ。」

2026/08/03

 
 
ビジネス編をお読みいただき、ありがとうございます。
 
2025年7月に営業を開始してから、この一年間、
私はホームページとブログを
弊社の基盤として丁寧に育てることに
多くの時間を注いできました。
 
法人を立ち上げるまで、
私はブログを書いた経験が一度もありませんでした。
 
それでも営業活動や物件の精査と並行しながら、
「魂編」と「ビジネス編」という全く異なる二つの軸の
記事を毎月書き続けてまいりました。
 
その積み重ねの結果、
現在では全国の多くの方にホームページをご覧いただき、
記事を読んでいただけるようになりました。
 
私にとって、この一年は、
ホームページという会社の土台を築く
大切な時間だったと感じています。
 
 
ビジネス編noteでは、
一つのテーマを半年以上かけて掘り下げることも少なくありません。
 
例えば、先月お届けした「検査済証」の記事も
構想そのものは2025年の年末には
すでに始まっていました。
 
現場で起きている変化や金融機関の動き、
日本全国の地域差など
自分の中で構造が見えるまで落とし込み、
ようやく先月、
一つの形としてお届けすることができました。
 
 
私が発信してきた内容は、
一般的な解説記事ではありません。
 
実務を通して得られた生の経験と
自分自身の感覚を頼りに
何度も現場で答えを探し続け、
その時点でたどり着いた私自身の考えです。
 
もちろん、その考えが常に正しいとは限りません。
 
それでも
一つだけ自信を持って言えることがあります。
 
それは、
その時点で持ち得る知識と経験、
そして現場で得た感覚を総動員して
考え続けて導き出した結論である
ということです。
 
自分自身の経験と感覚を頼りに
まずは目の前で起きている現実の一次情報から
物事の本質を見極め、
構造を把握するようにする。
 
これが、私の記事の出発点です。
 
ただし、本質をつかむためには、
目の前の出来事だけを見ていても足りません。
 
まず必要なのは、市場全体の地図です。

私は、特定の地域だけを見るのではなく、
日本全国を見て、まず全体像を把握します。
 
さらに、売主様・買主様・金融機関、
それぞれの立場を一気通貫で見ながら、
一つの取引全体を俯瞰して考えます。
 
一つの立場だけを見ていては、
どうしても見方は偏ってしまいます。
 
仲介の仕事は、
売主様、買主様、金融機関、
その間に立ち、
それぞれが何を考え、何に悩み、
何を守ろうとしているのかを理解したうえで、
お互いが納得できる着地点を探していく仕事です。
 
そのためには、まず、
それぞれの立場や背景を理解する必要があります。
 
全国を見て市場全体を把握することも大切ですが、
それと同じくらい、
一つの取引を多角的に見ることも大切です。
 
そうして初めて、
市場全体の動きやその背景にある本質が
少しずつ見えてきます。
 
そのうえで、
金融・経済・不動産市場全体というマクロの流れと
個々の地域や金融機関、
物件の現場で起きているミクロの変化を
行き来しながら
その背景にある構造を考えます。
 
全体を見たうえで、
ようやくミクロの世界へ落とし込めるのです。
 
そして、
目の前に現れた小さな違和感や変化の兆しから
「これから何が起きるのか」を考える。
 
私がこの一年間、
記事の中で続けてきたのは、そうした作業です。
 
そのため、
扱ってきたテーマの中には、
まだ世の中で答えが出ていないものや
発信した当時には、内容そのものが、
時代とぴったり合致するまでに少し早すぎた
記事もあったと思います。
 
しかし、この一年で市場環境は少しずつ変化し、
当時お伝えしていたことが、
今になって現実味を帯び始めています。
 
発信した時点では、
まだ一部の兆しにすぎなかったものが、
数か月という時間を経て、
より多くの人にとって身近で無視できない
問題になり始めている。
 
だからこそ、
今、改めて読んでいただきたい記事があります。
 
 
そこで、このビジネス編ブログは、
この8月号から新しいフェーズへ進みます。
 
これまで積み上げてきた記事は、
私にとって大切な資産です。
 
一度公開したまま埋もれさせるのではなく、
現在の市場環境や新たな視点を加えながら再編集し、
改めてお届けしていきたいと考えています。
 
そして、それに合わせて、
ビジネス編の入口も刷新します。
 
この一年、ビジネス編では
金利上昇、空室、サブリース、検査済証など、
不動産というビジネスの本質とも言えるテーマを
扱い続けてきました。
 
市場の潮目が変わりつつある今、
多くの方が厳しい局面に直面し、
業界全体にどこか暗い空気感が漂い始めているのを
私も肌で感じています。
 
 
私が好きな英語の言葉があります。
 
We don’t laugh because we’re happy.
We’re happy because we laugh.
 
私たちは幸せだから笑うのではない。
笑うから幸せになるのだ。
 
私は、この言葉を
「感情よりも先に、まず行動がある」
という意味として受け止めています。
 
苦しい現実だからこそ、まず笑う。
重いテーマだからこそ、明るい入口を用意する。
 
それは現実から目を背けるためではありません。
むしろ、現実とまっすぐ向き合うためです。
 
映画の歴史に名を残した喜劇王、
チャールズ・チャップリンもこんな言葉を残しています。
 
Life is a tragedy when seen in close-up,
but a comedy in long-shot.
 
人生はアップ(近距離)で見れば悲劇だが、
引き(遠目)で見れば喜劇である。
 
 
何を隠そう、売主様と買主様という
「水と油」のような存在の間で調整役を担う私自身も
ときには大きな板挟みになりながら
厳しい現実の最前線に立ち続けています。
 
私自身が現場で見てきた
売主様や買主様に共通する人間心理や
仲介という立場だからこそ味わってきた苦しさを
クリエイティブに「希望の光」へと変えていく。
 
そうすることで、
今、少しずつ重苦しい空気が広がりつつあるこの業界に
少しでも明るい光を差し込みたい──。
 
それが、新しいフェーズに込めた私の想いです。
 
その第一弾として、今月は特別編です。
 
現場で数多く出会ってきた人間模様をもとに
売主様とのやり取りを
ユーモアたっぷりに描いた作品をお届けします。
 
特定の誰かを描いたものではありません。
 
現場で出会ったさまざまな出来事や
感覚をクリエイティブに再構成した、
フィクションです。
 
楽しみながら読んでいただき、
その奥にある人間らしさや
不動産仲介という仕事の難しさも
少し感じていただけたら嬉しく思います。
 
いつものビジネス編とは、
違った雰囲気でお届けします。
 
どうぞ肩の力を抜いて、お楽しみください。
 
 
「近所のマンションが2億で売れたんやから、うちは3億やろ」
 
※この作品は、実務を通じた複数の出来事から着想を得て、
再構成したフィクションです。
登場人物・会話・設定は創作であり、
特定の個人・団体とは一切関係ありません。
 
 
私は、鉄筋コンクリート造(RC造)の
一棟収益マンションの売買仲介をしています。
 
仕事柄、売却査定で
さまざまな売主さんとお会いします。
 
その中には、
思わず心の中でツッコミを入れたくなる場面も
少なくありません。
 
もちろん、仕事中なので実際には言いません。
 
でも、この日ばかりは
何度ツッコんだか分かりませんでした。
 
本日は、
不動産業界に古くから伝わる計算式をご紹介します。
 
その名も、
『売主式・不動産価格算定法』
 
公式はこちらです。
 
近所の土地が高い(チラシ価格)

うちの土地のほうが広い

近所のマンションが2億円で売れた

うちのマンションのほうが立派

ベランダから花火が特等席で見える

3億円
 
…………収益力、築年数、空室、修繕状況。
全部どこに行ったんですか。
 
 
ある日、売主さんが一枚のチラシを大事そうに
持ってこられました。
近所の更地が売りに出されているチラシです。
 
価格は、8,000万円。
 
売主さんは、その数字を指で何度も
トントンしながら言いました。
 
「見てください。土地だけで8,000万円ですよ。」
 
はい。
 
「しかも、うちのほうが土地も広いんです。」
 
はい。
 
「ということは、土地だけでも1億円はしますよね。」
 
・・・・・
 
「うちは、その上にマンションまで建ってます」
 
はい。
 
「しかも、ベランダから花火が見えるんです。」
 
・・・・・
 
「特等席なんですよ。」
 
・・・・・・年に一回です。
 
「土地だけで1億円。建物もあって、花火まで見える。」
 
査定価格に、
花火大会のプレミアまで加算されました。
 
「最低でも2億5,000万円でしょう!」
 
この方の頭の中では、
プラス要素だけが順調に積み上がっていきます。
 
しかも、築年数も空室も修繕履歴も
まだ一度も登場していません。
 
そこで私は、少し慎重に尋ねました。
 
「現在の家賃収入は、年間でどれくらいでしょうか。」
 
すると売主さん。
 
「家賃は関係ないでしょ!
土地もあるし、建物だって立派ですから。」
 
・・・・・
収益マンションから、収益が退場しました。
 
私は続けます。
 
「空室が現在、4室ありますね。」
 
「でも、昔は満室でした。」
 
「いつですか。」
 
「息子がまだ小学生のころです。」
 
・・・・・
 
息子さん、現在42歳です。
 
ここで売主さんが、とどめを刺しにきました。
 
「それに、近所のあんな、たいしたことのない
マンションが2億円で売却されたんですよ。」
 
「最近売却されたのですか?」
 
「ついこの間やったと思うんですけどね。」
 
「何年くらい前でしょう。」
 
「……あ、でも、もう10年くらい経つか。」
 
不動産業界では、
10年前を「ついこの間」と呼ぶことがあります。
 
売主さんの頭の中では、
10年前から金利も融資姿勢も家賃も
建物の築年数さえも一切動いていません。
 
近所のマンションが2億円で売れた瞬間に
地域一帯の時計が止まったのです。
 
しかも、
10年前に売却された近所のマンションについて
詳しく聞いてみると、
 
駅徒歩3分。
築15年。
満室。
大規模修繕済み。
 
一方、売主さんのマンションは、
 
駅徒歩15分。
築34年。
空室4室。
大規模修繕は、
「そのうちやろう」と言い続けて15年。
屋上防水は、売主さんの記憶とともに劣化中。
 
それでも売主さんは言います。
 
「でも、うちのほうが立派でしょう。」
 
・・・・・・・・・
 
私は一度、窓の外の遠くの景色を眺めました。
 
・・・・・・・・・・・ここはどこ?
 
同じなのは、
マンションという呼び名だけです。
 
それでも、売主さんの希望価格は3億円。
 
なぜ2億5,000万円から上がったのか尋ねると、
 
「さっき話しているうちに、
やっぱりそれくらいの価値はあるなと思って。」
 
・・・・・
査定中に5,000万円上がりました。
 
不動産価格が会話の熱量に連動しています。
 
このままあと30分話したら、
六本木ヒルズを超えるかもしれません。
 
― FIN ―
 
 
これは単なる笑い話ではありません。
 
不動産の価格は、
昔の成約事例でも
近所の売地のチラシでも
所有者の愛情の深さでも決まりません。
 
ちなみに、
不動産のチラシに掲載されている価格は、
実際に成約した価格ではなく、
あくまでも「売り出し価格」です。
 
市場の反応を見ながら価格が見直され、
成約価格が大きく下回ることも珍しくありません。
 
そのため、チラシ価格だけを基準に
ご自身の物件の価値を判断してしまうと
市場とのズレが生まれてしまいます。
 
不動産の価格は、
現在の収益力、立地、築年数、
修繕状況、融資環境、
そして今の買主がどこまで支払えるのか。
 
それらを総合的に見て、
ようやく今の価格が見えてきます。
 
 
一方で、もう一つ別の相場を基準に考えてしまう
売主様もいらっしゃいます。
 
それは、
 
「自分の物件だけは、時代の影響を受けない」
 
という相場です。
 
こうした価格感覚が生まれる背景には、
それぞれの事情があります。
 
バブル期やその前後に高い土地を購入し、
多額の費用をかけて建物を建てられた方も少なくありません。
 
長い年月をかけて守り続けてきた大切な資産だからこそ、
「もっと価値があるはずだ」と感じる気持ちも
私は決して否定したいわけではありません。
 
しかし、不動産市場は、
過去ではなく「今」を基準に動いています。
 
不動産会社が査定するのは、
建物だけではありません。
 
ときには、
10年前で止まった売主様の時計を
現在へ戻すところから始まります。

author

執筆者

高木 恵美

複数の業界で営業職を経験し、今は一棟収益マンションの仲介業を全国で行っています。
営業としての土台を築いたのは、リクルートでの4年間。厳しくも濃密な経験が、私の原点です。
感性を大切にしながら、物件の背景や売主様・買い主様の想いに寄り添い、同時に、数字や収支の分析など、専門性もしっかりと持ち合わせた“両輪”の姿勢で、誠実な取引を心がけています。